黒井千次「働くということ」を読んで考えること
「もし、何にもしないでも毎月お金がもらえるとしたら、働く?」
ある企業の面接で、こんな質問をされたことがあった。
大学四年生、何社受けても受からない。
切羽詰まった状況。
のくせに、私は
「うーん……、働きません」と正直に言った。
さすがに、それが面接官の求める答えじゃないのは分かっていましたよ。
だけど、心の中で小パニックになりつつ答えを探しまわったけど、いい答えが見つからなかった。
働かなくてお金もらえるなら、何で働くんだろう?
単純にそう思った。
大体働くってことがよく分からない。
これまでずーっと学生しかやってきていなくて
急に、はい、じゃあうちで何したいの?
って聞かれても、
「…………。」(沈黙)
何言っていいのか分かんねえよ!!!(本音)
そんなこんなで、心身ともに疲れ果てた就職活動。
どうにかこうにか就職して、だけどやっぱりあの時の質問に、
何と答えればいいのか分からない。
「現代の学生にとっては、就職とは職業に就くことを指すのではなく、むしろこれから職業をさがし始めることを意味するのだ」
そうだ、と思う。実感している。
働きだしたら分かってくるものかと思っていた。
ところがどっこい、
働くことの意味がより生々しさをもってよく分からない。
働くことは三悪の繰り返しである、と筆者は言う。
三悪とは、「目覚まし時計」「ネクタイ」「満員電車」。
つまり、
「似たような時刻に起き出し、同じような服装に身をかためた人々が、きまった時刻の電車に乗り合わせ、狭い車内でひしめきながら勤務先に運ばれていく」
ということであり、しかも、
「それが三年や五年のことではなく、二十年も三十年も続く」
ということなのだ。
そんなこと分かっていたつもりだったけど、こうして文章として目の前にたたきつけられてしまうと改めて、
うーん……、絶・望・的☆
読者を絶望的な気持ちにさせたところでもう一発、
「なんのために繰り返しに耐えねばならぬか、との問いかけには、食うために、という答えを溢れてしまうものがある。(中略)ただ食うだけのためではない、なにかを手がかりにして繰り返しを乗り越えたいのだ。そういうなにかが欲しいのだ。ところが、それがないのだ……」
があぁぁぁぁあん……(殴打)
「食うために」なんて理由じゃ、毎日働くってことのつらさには耐えられない、
繰り返しの働くってことに耐えることが出来るような、何かが欲しい。
「労働の手応え」(本の中でこんな風に表現されている)が欲しい。
だけど……それがない。
ないのかよ!あるのかと思ったよ!
まさに本音トーク。
1982年発行で、私が古本屋で手に入れた2009年発行の分で41刷。
いい年なのに、なかなかやりますな。
偉そうな口調で、お説教するんじゃなくて、
つべこべ言わずに働けよ!って理不尽な暴言をぶつけてくるのでもなくて、
働くことは面白くねえよな、って真正面から言ってくれる。
そしてここからが41刷を数える(たぶん今はもっといってる)長老の本領発揮であり、
突き落として終わりではなくて、筆者も底まで降りてきてくれる。
働くことは何で面白くないのか、もっと深く考える。
本当に金のためだけに働くってことでいいのか、考える。
じゃあ辞めてこの繰り返しを抜け出せば幸せになれるってことなのか、考える。
逃げずに一つひとつに筆者なりの答えを示してくれる。
こういう場合の答えは、一つではない。
だから納得いくかどうかは読者次第な気がする。
そんなことは筆者も分かっていて、分かっていながら堂々と自分なりの答えを示す。
ここがかっこいいではないか、と思った。
読み進めると、底から長老に手を引かれつつ、一段一段階段を上っていくような感覚で、
最後は光が見えたから不思議。(注:そう思えるかどうかは読者次第です)
「人間の自由は不自由を避けたところに生ずるのではない。不自由の真只中をくぐり抜け、その向う側に突き抜けた時にはじめて手にすることが出来る。さもなくば、現在享受しているものが本当の自由であるか否かも確かめられないだろう」
名言だ……、感動……。(注:そう感じるかどうかは読者次第です)
「もし、何にもしないでも毎月お金がもらえるとしたら、働く?」
あの時の面接官の質問に、
今の私なら結構ましな理由もつけて答えられるだろう。
面接官に喜んでもらえるものかどうかは別として、だけど。